Spain マドリッド空港到着11:00PM。夜行のバスで、アルへシラス(スペイン最南端)に行こうとしたが、バスのスケジュールも、バス停もわからない私たちは、マドリッド市内で立ち往生。バスはあきらめホテル探しに変更。荷物をかついで歩くこと1時間。安ホテル街でベルを鳴らし歩き、やっと1件返答あり。夜中の1:00に部屋を空けてくれたあのオヤジに感謝。
Spain-Morocco 列車を乗り継ぎアルへシラスに到着。途中車窓に広がるひまわり畑が印象的。ハイスピードフェリーで1時間。ジブラルタル海峡を横断中モロッコに住むアメリカンファミリーと出会う。アフリカ大陸に上陸。国境超えを手伝ってもらい(アメリカINSに輪をかけた仕事ののろさ)さらに途中まで、車で送ってもらう。目的地のホテルを予約してくれたり、相乗りタクシーを手配してくれたり、旅先で受けた親切は、本当にありがたい。出だし好調!!
Chaouen 山沿いにある、小さな平和な町。ときいていたが、ガイドをしたがるモロッコ人に付きまとわれる。 断り下手なJonのせいで、半日歩きまわされた。まあ結局はよかったんだけど。Good view hereとつれていかれたところは、ある家族のテラス。そうとは知らず、写真とったりしているもんだから、そこの家主はびっくりして出てきた。この国では、珍しく体格のいい社長タイプのご主人と、お茶目なおじいちゃん。彼らによると、この町の医者は、日本人が5年ごとに交代でくるらしく、おじいちゃんは手とり足取り、アラブ語で私に すばらしい医者なんだ と説明してくれた。と思う。
Fez モロッコで一番古い町。メディナ(9世紀にスペイン人によって作られた町の一角)には、1000年以上受け継がれた、家業を営む風景が見られる。子供たちは学校には行かず、親の仕事を手伝いながら、仕事を覚え、そしてそれをまた、子供に伝えていく。メディナにすむ人々の90%以上は、読み書きができない(モロッコ国民全体では55%)というより、国民60%を閉めるベルベル族の言葉は、口語だけで書体はない。彼らは、本とか、手紙いうものを知っているのだろうか。しかし彼らは、アラビア語、英語、フランス語を、客によって使い分ける。これも職人芸。
国民の大半がイスラム教。結婚相手は、親が決め、同居はあたりまえ。結婚後、女性は専業主婦。ジュラダという民族衣装を身にまとい、腕、足、髪、を人目にさらさない。結婚前の男女交際は認められず、若者たちは、女同士、男同士で行動する。女同士で手をつなぐのはいいが、男同士で腕を組むのはやめてほしかった。
Marrakech モロッコ全体的にいえることだが、この町は特に客引きがしつこい。ミュージアムに行きがけ、しつこい兄ちゃんに帰りによるからとか言おうものなら、待ち伏せされて約束は、約束だ!うちの店に寄ってくれ!と強引。アラブ式の買い物は、値段がついていないので交渉次第。もちろんふっかけてくるので、こちらも、値切りに値切るんだけど、やはりむこうはプロ。私はこひつじ(?)日本人。高い買い物をしたような気がする。
Quarzzate マラケシュから、アトラス山脈をバスで越えると、あたり一面茶色の世界。夜10:00についたのに、暑い!!エアコンが恋しい。体力消耗している上、この暑さで、食欲はなく、コーラが主食の数日間。次の日、観光案内に行って、サハラ砂漠どこまで、入りこめるかを検討。結局2泊3日、私とJon専用タクシー$240のアレンジをした。物価の安い国でよかった。
Day1 トドロキャニオンまで5時間のドライブ。車はボロベンツ。もちろんエアコンはない。ガイド件ドライバーのモハメッドは、大学出30前後の親日家。7人家族の長男として、家族のために一生懸命働く。失業率50%以上のモロッコの就職難を感じる。途中ビューポイントで車をとめると、待ってましたとばかりに、らくだずれの2人のにーちゃんがよってきて、Jonの頭にターバンを巻きつけらくだの前で写真をとれといいよる。もちろんお金目当て。冷たくあしらえる私と、つい引っかかってしまうJon。結局、チップを渡す羽目になってしまった。(50セントくらいなんだけどね)トドラキャニオンは、砂漠のオアシスの上流。2つにぽっかり割れた山の裂け目から大量の水が湧き出て、その周りに、観光客用のホテルが2件あるだけ。お客はほとんどフランス人。夕食時、隣のお客さんが英語を話していたので、ついついナンパしてしまう。ポルトガルに住む、イギリス人家族。パパは、かなり酔っていたみたい。夜何度か停電になるので、寝ようと思っても、暑くて眠れない。
Day2 電気が通じる最後の町エルフードを通過し、道なき道を3時間走り続ける。途中レストランの看板があったが、見渡す限り地平線。砂漠の1歩手前に、建物を見つける。周りには、らくだが10頭くらい待機している。シャワー、トイレ、ベット、レストランがある、海の家ならず、砂漠の家といったところ。自家発電による、生ぬるいコーラがでた。ここかららくだに1時間乗ると、テントがあるらしく、そこで、夕食を取って、一夜を明かすらしい。この砂漠の家使用料(2食込み)+らくだ+テント2人で、$200といわれたので驚いた!$20の間違えじゃないの?結局$150まで値切って、悔しいので、もう一本生ぬるいコーラを飲んでやった。夕方らくだに乗って出発。らくだの上から見るサハラは、偉大だったけど、私たちのために、たづなを引き、歩き続けるアラブのお兄ちゃんもすごい!と思った。この日は、団体さんが入っていたため、私たちは、砂漠に住むある家族のもとへと連れて行かれた。お父さんとお母さん、そして3人の娘。数十匹のやぎ、数羽のにわとり、1匹のロバ。アラブ語のポケットディクショナリーは持っていたのだが、彼らはベルベル語しか話さないらしい。それでも、子供たちとは、楽しく遊べた。絵を書いたり、写真をとったり、歌を歌ったり。長女エイシャ12歳。次女ナイジャ8歳。3女ノーラ2歳。私の名前みこ、日本人。Jonの名前、Goodアメリカ人。私たちは夫婦。(ナイシャは夫婦なんだぁ~とニタニタ私たちの顔を見ていた)これだけが、なんとか通じた言葉。夜9時、夕食をとりに、テントに向かって歩いていたら、ナイジャがあとからついてきていた。手をつないでいっしょにテントまで行くと、あまりにたくさんのアメリカ人にびっくりしていた。食事が終わると、誰かがギターをひきだし、ナイジャは、私のひざの上で、恥ずかしそうに、でも、真剣に聞いていた。夜、砂漠に毛布をひき、星を眺めながら寝た。流れ星が、何度か見えた。
Day3 明け方、久しぶりに、寒さを感じた。バカな、にわとりが、1匹一晩中鳴いていたため、あまりよく眠れなかった。朝日を見に少し歩いて、青空トイレを済ませ、戻ってくれと、子供たちはもう起きていた。長女はよく働き、手際よく朝ご飯を作っていた。子供たちと、ベットで、じゃれあっていると、2匹のらくだを連れたお兄ちゃんがやってきた。帰る時間。本当に帰りたくなかった。もう2度とあえない。あえないどころか、住所もなく砂漠を放浪し、読み書きもしない彼女らへの、連絡手段は何一つない。電気も水道もなく生活をしている彼女たちから、私たちはたくさんのことを学んだと思う。らくだに乗って去っていく私たちを、彼女らは、どう見ているのだろう。
Morocco-Spain ワルザザートから、一気にモロッコ最北端タンジェに、飛行機で飛び、フェリーでスペイン入りした。目的地のセビーチェいきの列車はもうなく、半分あきらめていたが、結局バスでたどり着いた。安ホテルは、どこも空いてなかったので、3スターホテルに泊まった。感激のエアコン、お湯のシャワー、トイレットペーパー、ハエのいないレストラン、氷の入ったコーラ、気軽なウィンドーショッピング+値札までついてるぅ!
Granada アルハンブラ宮殿には、たくさんの日本人がいた。13世紀、迫りくるキリスト教勢力を向こうにまわし、最後のとりでとして立てられたイスラム教のアルハンブラ宮殿。15世紀、ついに、碧落。以後、カソリックによって、改造された興味深い宮殿。同じ年、コロンバスが、アメリカ大陸発見。スペイン最勢力時。
グラナダの町で、日本食レストラン発見。私よりJonのほうが、日本食恋しがっていたみたい。外にかけてあったメニューみながらおみそしる~、きつねうどん~と隠れている私に訴えてくる。店の人は奇妙な目でJonを見ていた。結局その店にはいかなかった。
Spain-LosAngeles ロスアンゼルス空港で、Jonのかばんがでてこない!ほかにも数人同じ目にあっている人がいて、1時間近くてこずっていた。明日の夕方には連絡できると思います。といわれた言葉を信じて、次の日、自宅で待機。結局電話がきたのは、夜10:30。2時間以内に配達しますという言葉をまたまた鵜呑みにして、待っていた。夜中の1:20やっと、ドアがノックされた。しかし!配達されたかばんは、Jonのではなかった。それから24時間後、バックは、無事にもどってきた。
おわり